大判例

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大阪高等裁判所 昭和41年(ツ)84号 判決 1967年11月29日

上告人 奈良県

右代表者奈良県知事 奥田良三

右指定代理人奈良県警察本部警務部長 安達真五

右訴訟代理人弁護士 山本良一

曽我乙彦

被上告人 瓦萬太郎

主文

原判決を破棄する。

本件を奈良地方裁判所に差し戻す。

理由

上告理由第一、二点について。

原判決の認定したところによれば、被上告人は、昭和一五年五月頃奈良県警察官に任命され、爾来、主として同県内の各警察署管下の駐在所に勤務してきたものであるが、昭和二二年頃から勤務した奈良県大宇陀警察署及び昭和二九年頃に勤務していた同県郡山警察署で、いずれも当時その警察署々長として被上告人の上司の地位にあった植平猛との間に、兎角、感情的なもつれが生じ、被上告人としては、自己の正当な意見や要望を植平が無視し、被上告人に対する人事、待遇に偏頗な報復的措置をとったとし、あるいは、昭和三〇年一月頃、植平の命で、郡山警察署管内の北郡山駐在所から同管内のあやめ池駐在所に配置換えとなった際、支給さるべき転宅費用の一部が支給されず、その後被上告人からの請求によってはじめて追給されたものの、なお全額の支給を受けるにいたらず、残額が残っているとし、植平に不正行為があるなどと奈良県警察本部(以下単に県警本部という。)にあて上申書を提出したり、遂には、植平個人に対し、昭和三四年頃、転宅費用の残額及び同人の措置により肉体的、精神的に被ったとする損害の賠償金の支払請求の訴訟を提起したりするなど、警察という同じ組織機構の内部にありながら上司に対し異例の措置をとるに及んだ。これに対し、昭和二六年以降奈良県出納長の職にある西上菊雄は、かつて自ら奈良警察署長を歴任し、奈良県警察界の長老と目されていたようなところから、その是非はともかく、このような被上告人の行動で同県警察内部の紛争が表面化することを憂慮し、被上告人と植平との間に立ち、両者の仲を主に金銭的な方法で解決するように努めたが、西上の示した和解案は植平の容れるところとならず、両者の和解はできなかった。もっとも、被上告人と植平との間の紛争が表面化する以前にも、被上告人は、同県天理警察署勤務時代の同署々長であった内谷秀一との間に紛争があり、県警本部、奈良県公安委員会及び奈良県議会等にあて、右天理警察署の運営問題に関し上申書、陳情書等を提出したことがあったのであるが、この場合にも、昭和三三年一一月頃、西上が両者の仲に入り解決に当ったことがあり、ともあれ、被上告人は、奈良県警察の内部にあって異色の存在であった。ところで、右のように被上告人と植平との間では和解もできなかったが、被上告人は、西上のとった言動が被上告人に対する言明にも反し不誠実であるとして、奈良県知事にあて、西上の言動を非難する趣旨の陳情書を提出したり、その後、奈良地方法務局の人権擁護関係機関に自己の受けた処遇が人権蹂躙にあたるとして訴え出たりしていたが、更に、昭和三七年三月には再び奈良県議会に対し、奈良県下警察署または奈良県警本部の運営が不合理的であることを掲げ、その点を調査して適切な措置をとることを要望する旨の陳情書を提出した。そして、右陳情書は、同県議会総務委員会で取り上げられたのであるが、不得要領に終り、直ちに被上告人が期待したような結果は出なかった。そこで、被上告人としては、当時、天理警察署福住駐在所に勤務していたのであるが、敢えて、この際、自己の考える奈良県警察の運営の不合理性を国会に陳情し、あるいは、中央の報道機関に訴えるなどの行動に出ようと決意し、昭和三七年八月一二日、天理警察署々長にあて、右県議会に陳情書を提出した奈良県警察運営問題に関し、報道機関または関係機関に訴え出るため、同月一六日から同月一九日まで四日間の休暇をとりたいから許可されたい、場合によってはなお七日間程度の延長を願う旨の休暇願を提出し、その許可を受けた。ところが、その頃、奈良県議会議員で当時たまたま同議会総務委員会に属していた関係上、被上告人からの前記県議会宛陳情書に関与し、被上告人と知り合うにいたった矢川敏雄は、被上告人と県警本部側との対立を話し合いによって解決すべきであるとして、斡旋に乗り出し、被上告人に対し県警本部の幹部と話し合い和解するよう勧めるとともに、一方、当時の県警本部長山下豊久に対しても被上告人との直接の話し合いを慫慂し、同本部長から代理人をして被上告人との話し合いにあたらせるとの連絡を受けた。そこで、矢川を仲介人として被上告人と県警本部側との会合が行なわれることとなり、同年八月一六日午後、県警本部内の公安委員会室で右会合が開かれ、県警本部側から山下本部長の委嘱を受けた県警本部警務部長佐藤毅三が同本部監察課長吉田奈良治とともに出席し、矢川をまじえて被上告人との話し合いがなされた。右会合の席上、被上告人は、自らの立場で従来のいきさつを縷々説明し、かつ、休暇をとって上京する用意をしていることを述べたが、矢川は、警察内部にかような紛議のあることはよくないことであるから、従来の行掛りを水に流し、この際、金銭の授受によって問題を解決すべき旨を発案し、佐藤警務部長も、名目はともあれ県警本部から被上告人に対しある程度の金額ならば同本部交際費のうちから出してもよい旨の意向を示していたので、結局、金額の点に焦点が移るにいたった。そして、被上告人は、当初、二〇万円ないし一五万円を県警本部で出捐するよう要求し、年賦でもよいから一五万円を出捐するようにと固執していたが、矢川から、この際一気に解決するため右金額の点を一〇万円まで譲歩するよう説得され、結局、右金額を一〇万円とすることを了承し、県警本部から被上告人に、一〇万円を交付することによって一切の懸案を解決することとし、被上告人からの各種機関に対する訴えを取下げることを約束し、佐藤や吉田からも特に異論が出ないまま、数時間に及んだ話し合いにより、これまでの懸案が無事解決したものとして散会するにいたったというのである。

原判決は、右認定の事実によれば、昭和三七年八月一六日被上告人と奈良県警本部長を代理した同県警本部警務部長佐藤毅三との間で、従来被上告人と県警本部との間に醸し出されるにいたった紛議を一切解決するとの名下に、県警本部から被上告人に対し一〇万円を交付するとの約束がなされたものというべきであるとなし、奈良県警察の事務をつかさどる機関である奈良県警察本部を設置している上告人奈良県は被上告人に対し右約束に基づき一〇万円を支払うべき義務があるものと判断し、上告人に対しその支払を求める被上告人の本訴請求を認容したものである。

ところで、前記のとおり、被上告人は、奈良県下の警察署に勤務する警察官でありながら、そのかつての上司である植平猛との間に感情的なもつれがあり、同人から人事及び待遇の面で不当な報復的措置を受け、あるいは同人の差し金で転任に伴う転宅費用の一部の支給が受けられなかったとし、同人に不正行為があるもののごとく主張して県警本部に上申書を提出したり、同人個人に対し転宅費用の残額及び損害金の支払請求の訴訟を提起したりするなど異例の行動に出で、ついで、かつて奈良警察署長を歴任し、奈良県警察界の長老と目され、現に奈良県出納長の職にある西上菊雄が被上告人と植平との間の和解斡旋に乗り出したが、その努力が所期の目的を達しないとみるや、一転して、西上の言動を非難する趣旨の陳情書を奈良県知事に提出したり、自己の受けた処遇が人権蹂躙にあたるとして奈良地方法務局に訴え出たりし、更に、奈良県下警察署または奈良県警本部の運営が不合理的であると主張して奈良県議会に陳情書を提出したりしたが、いずれも被上告人の期待するような結果が出なかったので、休暇をとって上京し、奈良県警察の運営の不合理性を国会に陳情し、あるいは、中央の報道機関に訴え出るなどの行動に出ようとしたというのであるが、被上告人のかような一連の行動は、前記の原判決認定の経緯に徴すれば、植平猛個人との感情的なもつれに端を発したものであり、いわば自己に対する人事、待遇等に関する個人的な不満、うっ憤を晴らそうとする私憤に出でたものであって、被上告人が主張するごとく奈良県警察の運営全般の不合理性を国会に陳情し、あるいは、中央の報道機関に訴え出るなどして、専ら奈良県警察の運営の刷新をはかろうという義憤に出でたものとはいいがたいところである。紛争はむしろ被上告人と植平との間にあったのであり、奈良県警察に職を奉ずる一員である被上告人が前記のような行動に出で、とかく紛議の種をまいてきたということは、奈良県警察にとっても好ましくないことであったとはいえるかもしれないが、それだからといって、被上告人と県警本部自体との間に当事者双方の譲歩による和解によって解決しうべき紛争があったものとはいえないし、まして、県警本部が被上告人に示談金を支払ってまで被上告人に前記のような行動に出でることをやめさせなければならない事情があったとは到底いえない。たとえ奈良県議会議員矢川敏雄の斡旋があったとはいえ、被上告人が前記のような一連の行動をとったという原判決認定の事情があったというだけで、他に特別の事情もないのに、県警本部自体が被上告人に対し示談金一〇万円を支払うことを約するというようなことは極めて異例なことであって、通常はありえないところである。したがって、昭和三七年八月一六日午後、県警本部内の公安委員会室で矢川の斡旋により行なわれた県警本部警務部長佐藤毅三及び同監察課長吉田奈良治と被上告人との会合の席上において、仮に佐藤と被上告人との間になんらかの約定が成立したものとしても、原判決認定の前記事実からは、むしろ、佐藤警務部長が、ことの是非は別として、正規の手続によって県警本部自体が直接被上告人に対し金員を支払うという形式ではなく、たとえば同本部の幹部が被上告人と夕食を共にしたことにするとか、その他なんらか適当な名目で、同本部交際費のうちから何人かが交際費名義で金員の支払を受けるなどして、一〇万円を捻出して、これを事実上被上告人に交付するよう取計らうことを約したにすぎないものと推論するのが相当であって、県警本部自体が直接被上告人に対し一〇万円を支払う義務を負担する旨の約定が成立したものと推論するのは相当でない。原判決が、他に特別の事情を認定することなく、前記事実関係から直ちに佐藤警務部長と被上告人との間に県警本部自体が被上告人に対し一〇万円を支払う旨の約定が成立したものと断定したことは、経験則に違背し、審理不尽、理由不備の違法をおかしたものである。この点において論旨は理由があり、原判決を破棄し、右特別の事情の有無その他の点について審理を尽させるため本件を原審に差し戻すべきものとする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 坂速雄 判事 谷口照雄 輪湖公寛)

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